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山元町訪問

| コメント(1)
2011年3月11日,
たまたま茨城にいた僕も一歩間違えばどうなったか分からない状況を体験しました。そして数分置きに襲ってくる震度5の余震で眠れない上、周りで何が起きてるのか全く解らないまま一夜を過ごし,その状況のまま2日後に何とか東京に戻りTVの映像で初めてその惨状を見た途端に震えてきました。
茨城で一緒にいた友人のお父さんは気仙沼在住でしたし,その後も友人,知人関連の耳にしたくない情報が次々と飛び込んできた事で意識的に無関係を装い今まで来ました。
ほとんどの関西人が「震度5」の揺れを阪神大震災で初めて体感.かろうじてウチは倒壊を免れましたがそれらも全て たまたまだっただけで、二人しかいない"親友"のうち芦屋に住んでた一人が奥さんと二人の子供を文字通り命がけで守った犠牲となり逝ってしまいました。

実はその直前に映画スチールとして初めての現場、石橋凌さん主演作「新・悲しきヒットマン」への打診を受けてたのですが完全に精神的に参っていた為、大阪は道頓堀でハリハリ鍋を差し向かいで頂きながら「凌さん、やっぱり今の僕には自信がありません」と申し出たところ、「その気持ちはよく解る、でも引き受けたからにはやらなきゃ仕方ないんじゃないかな?それに"自信が無い"という言葉は口にしちゃダメだよね?』

ヒットマン.jpg口調は優しいものの、それ迄のアマチュア感覚から次のステップに昇る為の試練を与えて下さったその一言で自分の気持ちに整理が付きました。

そしてそのお言葉のおかげで今の自分がある事はまぎれも無い事実です。

そんな凌さんから今回、山元町に「一緒に来る?」と言われ「行きます」と即答したものの、僕の役目は撮影で果たして現地の皆さんの心情を考えたら撮影なんて出来るのかと案じていたらryostaffさんから「地元の方は逆に撮ってくれとの事です」と連絡を頂きました.

そして迎えた当日、朝からどしゃ降りとの報が入っていた山元町に1台の車に乗り合わせで出発、着いた頃には'晴れ男'の凌さんらしく青空が出迎えてくれ、最初に訪れたのが、数名の小さな命が奪われた東保育所でした。
東保育所-1.jpg
てっきり、時間帯を合わせてお経を唱えられていたと思い込んでいたお坊さんも、たまたまその時にいらしてただけという「仏縁」に始まり、中央公民館と山下駅前での凌さんの様々な"想い"が詰まったライブ、そしてその後皆さんとの本部でのひととき...それらの時間は自分の中にあった'甘え'、'贅沢'そしてほとんど意味の無い'価値観'を見事に露呈させてくれました。

SKT_順道師.jpg
NPOの裏側,報道の不公平さ,被災者の不平等さ,等々...たった1日でまさかこれだけ考えさせられる事になるとは正直思いもしませんでした.何よりも、震災から1年以上経った今も電気や水道が全く自由にならない中で生活されてる方々がまだまだいらっしゃるという現実に言葉を失いました。

SKT_祭壇.jpg
付近には震災後に建てられたと思い込んでいた新しい家が、実はたまたま流されなかっただけの事でよく見ると1階部分は住める状態ではなかったり,畑の中にポツン取り残されたかのような骨組みだけのコンビニエンスストア,未だ瓦礫だらけの荒れ果てた土地の遥か向こうには24時間稼働している

SKT_衣類.jpg
焼却場の灯りが幻想のように霞んでる。それらを一度でも目の当たりにすれば、どのような方でも多かれ少なかれのカルチャーショックに陥いる事でしょう。

ひとつ言えるのは、「あの震災を忘れてはいけない」以前に、忘れるも何も震災直後からほとんど変わってい

SKT_遊具jpg
ない状況の中で必死で闘い抜かれている方々がまだまだいらっしゃるという事実。
そして、情けない事にその方々の目のほうが自分より間違いなく生き生きとされてた現実。

いかに今までぬるま湯の中で何も考えずに生きて来たか、という事を痛感させられ地元

SKT_コンビニ.jpg
に帰ってからもほとんど自虐の時間を過ごしてましたが、そんなのは山元町の方々にはどうでもイイ事なので、今後自分が何を出来るのか、足りない頭で考えて行こうと決めた次第です。

そして、おそらく長いお付き合いになると勝手に考えておりますので、山元町の皆様、宜しくお願い致します。
SKT_源さん.jpg


居酒屋源さんボランティア本部
宮城県亘理郡山元町JR山下駅前居酒屋源さん跡地
 ホームページhttp://izakaya-gensan.seesaa.net/

コメント(1)

こちらには初めてコメントさせていただきます。
渡邉さんがその目で見てきたもの、写真を通して少しですが感じさせていただきました。
実際目にしてない人間が簡単に分かるようなものではないでしょうから、あえて”少し”としておきます。

最近、どうしてらっしゃるのかな?と思ってましたが、このブログを書かれていたのですね。

そして、凌さんの悲しきヒットマンと言う作品に、そんなお話があったとは知りませんでした。
私の旦那さんも、当時神戸にいて、被災しました。
たまたまその日はいつもと違う場所で寝てたから大丈夫だったそうですが、ぐちゃぐちゃになった室内でいつも寝ているベッドを見て呆然としたそうです。ちょうど、頭の位置に大きなテレビが落ちてきていて、家具が倒れていたそうです。 

報道の不公平さは今でも十分に感じていますし、最近益々酷くなっているような気がします。
ネットの情報を鵜呑みにしてはいけませんが、ネットで知る事が出来る事が多いのも事実。
今回の凌さんのライブもツイッターが始まりだったのですね。
まだまだ大変な生活を強いられている方々ですが、凌さんのライブを見ていらっしゃる時は、とても良い表情をしていらっしゃいますね!写真を見て思いました。
その時間だけでもとても楽しめて、感動できたのではないでしょうか。
まだまだこれが始まりだと言う凌さんの事ですので、これからまだ何か考えていらっしゃると思います。山元町の方も、またお会いできる事をきっと楽しみにしていらっしゃると思います。

私は渡邉さんの写真を通して、ほんの少し感じるとこしか出来ませんが、現地で感じた事、現地の今...これからも教えて下さい。

渡邉さんが元気なくて、ちょっと心配でしたが、少しずつ復活されているようなので、負の意識をパワーに変えて、また頑張れますように!
かげながら応援しています!!