1982年、松田優作邸、ある日の明け方。
ザ・ウェイラーズとの共作という形で発表されたジョー山中さんの本格的なレゲエアルバム第1弾"REGGAE VIBRATION"を聞き終わってしばらく間をおいてから、どうにも敵わない、といった風情で首を少し傾げながら大きく息を吐いた後で優作さんはこう言った。
『ジョーでないと歌えないな、これは・・・』
それから1曲めを何回か繰り返して聴いた後で、さらにこう言った、『こんな歌い方は誰にも出来ない、やっぱりあいつは凄いよ』
原田芳雄さんと同様に、一番最初に優作さんの普段の姿、いわゆるオフショットを撮らせて貰った時からその場に一緒におられたジョーさんもやはりなんの躊躇いもなく同じフレームに入って頂けたお方でした。

ただ、ジョーさんほどの方が優作さんと一緒に写ってるだけでそんなに喜ばれるのは随分意外な気がしたのでそれを尋ねてみると、『だって一緒にはいても写真は撮らないからね』と、もっともな回答をされました。
それからは優作さんとの数々の思い出を語られていたのですが、その最中にちょうど息子さんから連絡が入り『ちょっと今から付き合ってやらないといけなくなったから、本当にごめんなさい』と先に帰られた時も何の飾りもない、ただ子煩悩で優しいお父さんといったイメージでした。
久々にお会いしたのが2009年11月『松田優作20thメモリアル・SOUL RED LIVE』での横浜と大阪会場。いずれもリハ直前まではマスクを付けられたままで"ちょっと喉がツライんだ"との事でしたが、本番になると勿論そんな素振りも見せず『人間の証明のテーマ』を中心に出演者全員でのアンコール曲"スタンド・バイ・ミー"までをあのいつもの音域で絶唱されてました。
昨年2月に肺がんの宣告を受けられてからは病魔と闘いながらも様々なボランティア活動を続けられた後、同年12月24日には原宿クロコダイルにて"ジョー山中 X;masライブ"と銘打ちついにステージに復帰されたのでした。
ただし、完全復調とはならなかったようで、途中で休憩を挟む2部構成となったステージには多くのお仲間のミュージシャンに加えて、ご家族が総出でステージに上がられた事で会場全体がとにかくアットホームな空気に包まれ、ジョーさんのお人柄そのままにそれはそれは暖かいライブとなったのでした。
そんな和やかなステージ写真では物足りず、打ち上げでもしつこく向けていた僕のレンズにサムズアップで応えて下さった写真がその日の、そして僕が撮らせて頂いたジョーさんのラストカットでした。
別れ際、握手しながら
『今日はアリガトウね。また来年もやるからヨロシク!』
ジョーさん、
こちらこそ有り難うございました。
